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第五話「檻は、快適さの中に隠れている。」

自由は、ある日突然奪われるのではない。
気づかないうちに、失われていく。

人間はグラデーションの中に生きている。
健康と不調の間。正常と異常の間。正しいと間違いの間。そこには無数の濃淡があり、境界など本来存在しない。
でも人間は、その不確かさに耐えられない。
だから線を引く。カテゴリーを作る。診断名、職業、体型、性格、正しい姿勢、健康的な食事——ラベルを貼ることで、世界を整理しようとする。

最初は窮屈さを感じる。
でもやがて慣れる。そのカテゴリーの中に、居場所を見つける。同じカテゴリーの人間と繋がり、安心を得る。
それがコンフォートゾーンになった頃には、檻の存在すら見えなくなる。
そして静かに、自由は失われている。

恐ろしいのは、その檻が快適だということだ。
不自由を感じない。むしろ心地よい。外の世界が怖くなる。グラデーションの中に出ていくことが、不安になる。
檻の中にいる人間は、檻の外を「危険」と感じるように設計されている。

先日、サウナで一人の男性と話した。
59歳。毎日15km歩き、サウナで汗をかき、糖尿病と向き合っている。
「酒はやらない。でも甘いものだけはやめられない」と彼は言った。

責める気持ちは、一切なかった。
甘いものがやめられないのは、意志が弱いからではない。身体が必死に何かを埋めようとしているから。糖質が一時的に不安を和らげる。その感覚を、身体が覚えてしまっている。
彼は糖尿病と闘いながら、その糖尿病を必要としていた。病気という檻が、彼の人生に意味を与えていた。そして甘いものという内側の檻が、その奥に静かに隠れていた。
檻は一つではない。檻の中に、また檻がある。

でも彼は私の鏡だった。
そして私も、あなたの鏡かもしれない。
私たちは誰もが、外側の檻と内側の檻を抱えている。気づいている檻と、まだ気づいていない檻を。人の檻を見たとき、自分の檻が見える。人の不調を見たとき、自分の不調が見える。
裁くのではなく、映し合う。

でも身体は知っている。
コンフォートゾーンという名の檻の中で、身体は静かに緊張し続けている。動きが制限され、呼吸が浅くなり、感覚が鈍くなっていく。
身体はレーダーだ。檻の中では、そのアンテナが錆びついていく。

氣づくことが、最初の扉だ。
自分がどんな檻の中にいるか。何を「当たり前」として受け入れてきたか。どんなラベルを自分に貼り、その中に閉じこもってきたか。
呼吸を深くする瞬間、身体は少し檻の外を感じ始める。
グラデーションの中に、恐る恐る足を踏み出す。
その一歩が、自由の始まりだ。

大切なのは、檻を壊すことではない。
いつでも出られると知ること。戻りたければ戻れると知ること。
全て、自分次第だと氣づくこと。
その氣づきが生まれた瞬間、檻は消える。あとに残るのは、選択の自由だけだ。

映し合うことで、氣づきが生まれる。
氣づき愛の世界へ。

次回は、その自由を生きるための時間軸について考えていきます。

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